畳縁の歴史
畳の歴史は古く、1300年以上もありますが、畳縁もそれとおなじくらの歴史を持ちます。
奈良時代、表に端(へり)をつけたものを畳とするようになり
畳床がそこに加わり現在のような畳が形作られました。
「草を編みて薦(コモ)となす。雑変を表(オモテ)となし、
縁(へり)るに文皮(ブンカワ)をもってす。」
(隋書倭国伝)
「黒地の錦縁畳」
(東大寺献物帳)
これらの記載から、奈良時代には手近にある資材を応用していたことが分かります。
正倉院に聖武天皇(701-756年)が使用した「御床畳(ゴショウノタタミ)」
が保管されており
「床に真菰の筵(ムシロ)六枚を重ね、ところどころ麻糸で綴じ、その表に、
藺筵 裏に麻布をとりつけ花文錦の縁を取ったもの」
と記されています。
このことから、当時から縁は実用性と装飾性から不可欠の存在だったことが、
うかがえますね。
平安時代、畳は非常に貴重品で、天皇や貴族の屋敷だけで使われていました。
また、身分で畳の大きさ、厚さ、縁の生地や色が定められていました。
「帝王、院は繧縣繝端(うんげんべり)なり。神仏前の半畳は繧繝端を用う。
この外実に用うべからざるものなり。
大紋、
高麗をば親王、大臣これを用う。
以下さらに用うべからず、大臣以下公卿は小紋の高麗端なり、
僧中は僧正以下同じ。有職か非有職は紫端なり、六位侍は黄端なり、
諸寺、諸社三網等みな菫端を用う云々。四位五位の雲客は紫端を用うなり」
(海人藻介 応永二年)
この記述を見ても、縁の使用に細かい規定があったことが分かります。
「源氏物語絵巻」を見ると、光源氏の正室である女三の宮が座している畳には
繧繝縁が描かれています。
◎繧繝縁
最も格の高い畳縁で、天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇が用いました。
親王や高僧、摂関や将軍などの臣下でも、
「准后」(准三宮)という称号が与えられると三宮扱いになるため、
繧繝縁を用いることが出来ました。また神仏像などでも繧繝縁を用いています。
現代、身近なところではお雛様の親王雛は繧繝縁の厚畳に座っています。
先述の「源氏物語絵巻」も、臣下が座しているのは高麗縁と描き分けられています。
◎高麗縁
大紋 白
大紋 黒
白地に雲形や菊花などの紋を黒く織り出した縁。
紋に大小があります。
親王や大臣は大紋高麗縁、公卿は小紋高麗縁と定められていました。
清少納言は枕草子で「青畳と高麗縁の取り合わせが美しい」
と賞賛しています。
のちに白地に黒の小紋を染めたものをもいうようになり、
後世に、中紋も出現します。
現在では神社仏閣の座敷や茶室の床の間などで
大紋高麗縁を見ることができます。
小紋 白
小紋高麗縁は九条紋ともいわれ、
京都御所や二条城など古くから格式のある座敷に使用されています。
四位五位の殿上人は紫縁です。
六位以下は黄縁、無位の者は縁なしとされていました。
現在の京都御所では、赤縁が用いられています。
これは紫が変容して赤を用いたもので、
「紅絹(もみ)縁」「緋曽代絹縁」とも呼ばれます。
京都御所の「虎の間」(公卿の間)、「鶴の間」(殿上の間)には小紋高麗縁、
「桜の間」(諸大夫の間)には赤縁が使われています。
≪用いる縁と位≫
繧繝縁 |
大紋
高麗縁 |
小紋
高麗縁(九條紋) |
紫縁 |
黄縁 |
縁なし |
天皇
三后
上皇 |
親王
摂関
大臣 |
公卿 |
殿上人 |
地下 |
無位 |
小七宝 銀
小中紋納戸
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(在庫は変動しますのでご注意くださいませ)
上記のような身分による縁の違いは
江戸時代にいたるまで封建時代の身分差を示すものとして続きました。
一方、一般の畳では、普通の織布を一定の幅に裁断したものを
畳縁として使用していました。
明治から大正時代、
光輝縁が生み出され、
縁の開発、多様化がすすみます。
現在では格式高い伝統的なものから、ポップで楽しいもの、モダンなものなど
多種多様。
好みや用途に合わせて選ぶ楽しみが広がっています。